お弁当への想い

穂久彩、創業当時の思い

24歳に大学卒業後勤めていた会社を辞め、弁当穂久彩を創業しました。

その時は、「太秦」は生まれ育った街であり特別な意味を持つこともない日常の延長にすぎませんでした。
とはいえ、右も左もわからず始めた弁当屋。明けても暮れても、売上が全くたたず、四苦八苦しながらもがき苦しみ、とにかく自分が出来ることである「チラシ配り」を朝から晩までひたすら続けていました。

そのころ、たまたま時代劇の撮影スタッフの方に一枚のチラシを受け取っていただいたのをきっかけに撮影所のお弁当「ロケ弁」作りが始まりました。

当初は、“今から100食持ってきて” というようなご注文をいただく度に、家族や近所のおばちゃんたち総出で必死にお弁当を作っていたこともありましたが、私がこの「太秦」に生まれたこと、この「太秦」に店を構えたことが、この時はじめて大きな意味を持つこととなりました。

今では大量のお弁当作りも段取りよくできるようになりましたが、100個作っても、1000個作っても召し上がっていただく方にとっては「大事な一つのお弁当」

当時の思いを胸に今日も明日も明後日も精一杯おいしいお弁当を作り続け、召し上がっていただいた皆様にご満足いただけるよう日々努力いたす所存でございます。

林 幸平